■ ” 新聞 ” に復活の道みえず 18年間で950万部減は、最大発行部数の読売新聞消滅に匹敵

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47271

 

朝を告げるインクの臭い、ページをめくり終えて「今日も時代に追いついた……。」と安堵する読了感。”新聞紙”には、精神的な癒やしがあった。モバイラー(懐かしい響きだ)に倣って導入した”電子版”と格闘するも、いつしか忘れ去ってしまったかつてのパートナー、新聞。もう、戻る日はないだろうと想い始めていた。電車に乗らない生活のなか、ホテルのチェックインでも、フライトの席につくときにも、「新聞?あぁ、けっこうです。」雨のカンヌ国際映画祭でジョンロブをインナーソールまで濡らしてしまった夜以外、必要だと思うこともなくなっていた。多数のニュースアプリを、日々の情報源に加えるまでは。

 

ブログよろしく胡散臭く書き始めてみたが、率直に申し上げて新聞のニュースは、遅い。日に2度の宅配など、届いた次点で古情報だし、肝心の情報量は少なすぎる。更に有料で、ゴミ処分の労まで負う苦行だ。しかし、信号で停車する間にも3件のアプリニュースを読み飛ばすうち、自分がどれほど”新聞の真価”を見落としていたのかに気付かされるようになった。「記事の質」は、別格だった。小さな閃きをぬるま湯で戻し、ダラダラとスクロールさせることはない。簡潔明瞭で洗練された文体は美しく、記事を越えても同じスピードで読み進めることができ、誤字脱字などある筈もなく、なにより、情報への没入を妨げるような”記者の主張”を感じさせない配慮が行き届いている。”記者や編集部の姿が見えない”のだ。まるで、名匠監督と巨匠撮影監督が撮りあげた社会派ドラマが、カメラの存在を消してしまうみごとさで。

 

今こそ、”ホンモノの記者”をフィーチャーし、その記者が手がけた記事、その編集部の明確なポリシーを求めて、乱れ溢れる情報の断片を”総括”する役割りとして、「新聞」の復活を求めたい。そもそもスピードに勝ち目のない”最新情報!”というステージを、放棄してしまえばイイ。掲載情報は全て2日前の、2ちゃんねるにスレッドも立たない古情報だけでイイ。ただし、圧倒的な”プロの取材力”と”裏取り”で、「最終判定」を示す。最高じゃないか。ワイドショー連動の週刊誌とのバッティングもなく、高い信頼性と情報取り扱い力に、ライバルはない。ところで、この記事を読み返したならば、8つの誤字と6行もの、発信に堪えない文章力のなさを見つけた。”ホンモノの記者”と”プロの編集者”が目を通してくださったなら、添削の代わりに、同情の視線を向けてくれることだろう。恥ずかしいので、そのままにしてみる。 [ エドリード・ジャパン編集部 / EDL-editorial dept.]